与那国語の動詞13:完了(2)
ここでは完了の否定を扱います。完了否定では完了の接辞は使われず、存在動詞anの否定形minun(つまり「無い」)が使われます。本動詞の方は中止形です。
madi tudut-i minu-n.
まだ届いて無い。
まだ届いていない。
*tudugun 届く K/U
対して、完了の肯定形は以下ですね。
maa tudut-u-n.
もう届いた。
さて、「まだ届いてない」を与那国語にする時の注意です。
*madi tudut-i bur-anu-n.
「まだ届いていない」
bur-anu-nは不規則動詞bun「いる」の否定形で、bunは現在進行形を作る際にも使われます。つまり bur-anu-nは現在進行の否定なんですね。上の例文だと「届くという動作が現在進行しているわけではない」の意味になります。
これでひとまず、動詞の基本的な表現は終わりです。次のテーマは不規則動詞です。
与那国語の動詞12:完了(1)
動詞の基本の最後は、活用表の一番下に載っている完了形です。日流語族の中には過去形と完了形の違いがはっきりしているものもありますが、与那国語に関してはまだよくわかっていないようです。
また与那国語の完了接辞は-(y)a-, -(y)u-の4種類あり、概ね-(y)a-が動作主性の高い動詞に、-(y)u-が動作主性の低い動詞に使われる傾向にあるという話でした。
kabi sat-ya-n.
紙を裂いた。
*sagun K/YA 裂く
guma-ru hana sat-u-n
小さい花が咲いた。
*sagun K/U 咲く
「使役+完了」を作ることができます。
barasa-ru agami dugati=ni tat-am-ya-n.
悪い子供を廊下に立たせた。
ここで「立たせる」はtat-amir-u-nですが、使役接辞-amir-自体もまた動詞語基を作り、それ自身が活用しています。
同じように「受身+完了」です。
khari=ŋa itiban=ni irab-ar-ya-n.
彼が一番に選ばれた。
*irabun C/YA 選ぶ
さらに「使役+受身+完了」もできるでしょう。
khanu agami=ya dugati=ni tat-amir-ar-ya-n.
あの子は廊下に立たせられた。
実は、完了接辞も動詞の語基を作ることができます。使役や受動の接辞と違って命令形・禁止形・勧誘形を取ることはできませんが、直説形・連体形・状況形・条件形を取ることができ、かつ現在と過去に分かれます。本項の一番最初に挙げた例は「完了-現在-直説」の結びつきです。
・現在完了直説(再掲)
kabi sat-ya-n.
紙を裂いた。
*sagun K/YA 裂く
guma-ru hana sat-u-n
小さい花が咲いた。
*sagun K/U 咲く
・現在完了連体
kica h-a-ru i
さっき食べたご飯
・現在完了状況
suŋuci dum-ya-ba
本を読んだら
・現在完了条件
suŋuci dum-ya-ya
本を読んだら
さて、これらを過去完了にするのは簡単です。完了接辞の後ろに過去接辞-ta-を挟みます。
kabi sat-ya-ta-n
紙を裂いた。
kica h-a-ta-ru i
さっき食べたご飯
suŋuci dum-ya-ta-ba
本を読んだら
suŋuci dum-ya-ta-ya
本を読んだら
与那国語メモ:「てしまった」のminun
動詞中止形に続くminunは、存在の否定という意味を離れ、「起こった行為に対する話し手の期待はずれ」を表すという。それなら標準語の感覚に近いだろう。
子供の壁の落書きを見て、
kati minun suyaa.
書いてしまった(様子だ)なぁ。
書いちゃったなぁ。
*ところで終助詞suyaはどういう文脈で何を表すのだろうか。
ただ、これは完了の否定にも使うから、標準語で「てしまった」が専ら期待はずれを表すようになってるのとは印象が違う。
kica turas-ya-n.
さっきあげた(完了)
madi turas-i minun.
まだあげてない。
あげるという行いが存在しないことを示す。完了形が動作の存在を表す(多分)ことに対する対概念か。
当然「あげてない」は「あげていない」とは異なる。「あげていない」は現在進行の否定である。
turas-i bur-anu-n.
あげていない。
今まさにあげているところではない。
これは動詞bunの単純否定。
与那国語の動詞11:中止(3)
中止形の続きです。
<datana:しながら>
ttuhaŋka kh-i-datana bara-ta-n.
恥ずかしがりながら笑った。
*恥ずかしがる ttuhaŋka khirun.(恥ずかしさする)
*笑う barun A/A
<nki:せずに/しないで>
これは「否定継起」と呼ばれるもので、「~して」の「~」部分の動詞が否定形である場合に用いられます。
amb-anu-nki hir-u-n.
遊ばずに帰る/行く。
amb-i hir-u-n.
遊んで帰る/行く。
*遊ぶ ambun C/YA
<ndi:~しに>
目的を表します。
amb-i-ndi hir-u-n.
遊びに行く。
<形容詞語幹 + khi + 動詞>
「~そうに…する」の意味になるようです。
syana kh-i nind-i bu-ta-n.
嬉しさ して 寝て いた。
嬉しそうに寝ていた。
*うれしい syanan 形容詞
<中止形言い切り>
次に、中止形の非接続用法を見ましょう。これまでは<中止形+ i + 助詞/補助動詞>という形でしたが、中止形で文を切ることができます。
ma ug-ii?
もう起きた?
ma ug-i.
もう起きた。
*(朝)起きる ugirun IR/YA
この表現は以下の論文を参考にしています。
伊豆山敦子「琉球語*-i(自動詞する)の文法化」『日本語の研究』第1巻3号2005.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihongonokenkyu/1/3/1_KJ00004553318/_article/-char/ja/
↑ページ右側の「PDFをダウンロード」ボタンからダウンロードして読めます。
この論文では、中止形言い切りの形が、話者の認識に関係なく、行為が出現したことだけを示し、質問・問い返し・現状への言及などに使われるとしています。しかし私には、これが過去形や完了形とどれくらい違って、どれくらい重なるのかピンと来ていないので、今回は「そういう言い方もできる」という程度にとどめておきます。あしからず……。
*基本相、進行相、継続相(概ね直説形、進行形、完了形に対応)については以下
橋尾直和「与那国方言のテンス・アスペクト」『高知女子大学紀要』人文社会科学編43巻1995年
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与那国語の動詞10:中止(2)
前回に引き続き、中止形を用いて作る表現の解説です。
<minun:ない>
A:maa dum-ya-n?
B:madi dum-i minu-n.
もう読んだ?(完了形)―まだ読んでない。
単に「読まない」であれば、dum-anu-n.とするところですし、現在進行の「読んでいる」はdum-i bu-n.ですからこれを否定形にすると「読んでいない」dum-i bur-anu-n.となりそうですが、そうではないです。これは「まだ」読んでいないという状況なので、現在進行の否定dum-i bur-anu-n.=「今まさに読んでいるというわけではない」とは違います。
minunは形容詞の否定形にも使われます
thaga minu-n 高くない
この場合、動詞の否定接辞-anu-を使うのは誤りです。
それ以外に「存在の否定」という役割があります。
khumi=ya a=ŋa munu=ya minu-n.
ここには私のものはない。
khu=ya a=ŋa munu=ya ar-anu-n.
これは私の物ではない。
ar-anu-nは「~である」(コピュラ)を表す動詞anの否定形です。「~である」の否定ですから「~ではない」と言う意味になります。一方、minunの方の文は「存在の否定」つまり「~は存在しない」という意味です。
<busan:したい>
anu=ya maabin giha-i busan.
私はもっと頑張りたい。
*頑張る giharun AR/A
<an:ある>
u=ya maa kh-i an do.
それはもうしてあるよ。
「結果相」と呼ばれているものです。この場合、誰がしたのかは不明であることが多いです。誰かがしたなら、「それはA君がしたよ」などと言うところですから。
<ti:~して>
<ndangi:~しよう>
taigu ccimas-i-ti da=nki h-i-ndangi.
早く終わらせて家に帰ろう。
*済ます、終える cciman AS/YA
*帰る hirun(=行く) IR/U
<bi:~したので>
abir-ar-i-bi su-ta-n.
呼ばれたので来た。
*呼ぶ abirun IR/YA
⇒受身形:呼ばれる abir-arir-u-n.
arir-u-nは少なくともIR活用なので中止形はar-iと判断できます。
*来た sutan 不規則。「来る」はku-n.不規則形については後で書きます。
与那国語の動詞9:過去、中止(1)
今回は活用表の9つ目と10個目、過去形と中止形です。
中止形は書くことが多いので、複数回に分けます。
・過去 ~した
接辞はC/YA~K/U(Cグループ)に対して-ita, それ以外に対して-taを使います。
duyu=nu hana(=ŋa) sat-ita-n.
ユリの花(が)咲いた。
*咲く sagun K/YU
*自動詞文で動作主性が低い場合、主格の助詞=ŋaを取らないことがあるようです。
khanu agami=ya araagu hudu-ta-n.
あの子はとても成長した。
*成長する hudurun UR/U
以前に説明したことと一部重なりますが、使役、受身、否定、状況、条件の過去形も見ておきましょう。動詞はndun「言う:C/YA」を使います。
使役:nd-amir-u-n.⇒nd-ami-ta-n.
言わせる⇒言わせた
受身:nd-arir-u-n.⇒nd-ari-ta-n.
言われる⇒言われた
否定:nd-anu-n.⇒nd-anu-ta-n.
言わない⇒言わなかった
条件:nd-ya,⇒nd-ta-ya,
言えば(?)⇒言ったので(?)
状況:nd-u-ba,⇒nd-u-ta-ba
言えば(?)⇒言ったので(?)
・中止形 ~して/~した
琉球諸語では、中止形(「~して」)で文を言い切ることがあります。与那国語もそうです。
が、まずは接続用法から見ていきましょう。
<turasun:取らす>
dum-i turas-i.
読んでください。
*読む dumun C/YA
*turasunはAS/YA活用で「取らす」の意味、つまり「くれる/あげる」にあたり、「くれる」「あげる」の区別はありません。つまり"dum-i turas-u-n."は「読んでくれる」「読んであげる」のどちらにも使えます。
<ccun:できる>
di dum-i ccun.
字(を)読める。
*ccunは可能を表す補助動詞です。意味は「能力可能」です。技能があるのでできる、という場合に使います。受身の-arir-は可能の意味にもなりますが、これは「状況可能」といって、状況が許すのでできるという意味です。ピアノが上手い人を考えましょう。
khari=ŋa Piano tt-i ccu-n.
彼はピアノ(を)弾ける。「能力」
duru=ni=ya Piano kk-arir-anu-n.
夜にはピアノ(を)弾けない。「状況」
*kkun 弾く K/YA
*「着る」「切る」のccun(C/YA活用)と同形なので、例文の直訳は「字、読みきる」となるでしょう。大阪方言で「~しきる」というと(微妙な意味の違いはありますが)可能を表す表現の一種です。「よう見きらん」は「(見るのが怖いなどの理由で最後まで)見ることができない」のような意味でしょうか。「そんなこと言い切れる?」の「きれる」もこれかもしれません。
補助動詞ですから、C/YA活用に沿って活用させられます。
di dum-i cc-anu-n.
字を読めない。
di dum-i cc-ita-n.
字を読めた。
中途半端な所ですが、今回はここまでです。
与那国語の動詞8:状況、禁止
活用表の7つ目と8つ目、状況と禁止を説明します。
・状況 ~すれば
接辞はC/YA~UIR/WA(子音語幹)に対して-ba, A/A~US/YA(母音語幹)に対して-ibaを取ります。
以前も書いた通り条件形との違いがいまいちよくわからない(語形は明らかに違うのですが)ので、実際に見られる例文を載せます。前者は文字通りのように読めますが、後者は特に謎です。
(18)b. i ha-iba=du amb-arir-u.
ご飯食べれば(ぞ)遊べる。
*ambun 遊ぶ C/YA
(15) anu=du nn-anu khatarai khir-iba=ndi umu-i,,,
私(を)=ぞ 見-ない ふり すれ-ば=と 思い…
私を見ないふりするのだと思って
*掲載の活用表ではkhir-u-baとなるところですが、典拠の文ではkhir-ibaとなっています。「する」相当の動詞は一つではないようなので、そのせいかもしれません。
出典は前回書いたのと同じです。
(18)b『琉球列島の言語と文化-その記録と継承-』第3部第4章「ドゥナン(与那国)語の簡易文法と自然談話資料」
(15)『琉球諸語と古代日本語-日琉祖語の再建にむけて-』第3部第12章「ドゥナン(与那国)語の動詞形態論」
・禁止 ~するな
C/YA~K/U(Cグループ)では-unnaを、それ以外では-nnaを取ります。
sugudai=nu uyabi=ni nu-nna.
机の上に乗るな。
*乗る nurun UR/WA
ma nd-unna.
もう言うな。
*言う ndun C/YA
ちなみに、中止形+wariで「~してください」、中止形+wannaで「~しないでください」となり、丁寧な命令・命令を作れます。もとの動詞はwarunで、AR/A活用です。
nd-i war-i. 言ってください。
nd-i wa-nna yo. 言わないで下さいよ。